ぼりの備忘録

尊敬する先輩が「板前の世界観」に消された、ぼくは料亭を辞めた。

現在、店舗に属さずフリーの料理人として活動しています、”ぼり”です。

ぼくは2016の夏に、料亭での板前修業を辞めました。

 

修行が辛くて耐えられなかったのではありません。

 

独立に至った具体的な理由は、こんな感じです。

  • 店を持つことは大きなリスクを伴う
  • ずっと固定された場所で働きたくない
  • 毎日料理と向き合うほど料理に没頭できなかった

こうした理由はこれまでもこのブログにも書いてきました。

でも、今までずっと書き起こしてこなかった理由がもうひとつあります。

 

「板前の世界観」に耐えられなくなったからです。

 

もう2度と思い出したくない出来事ですが、心の整理の為に書き起こします。

ずっと馴染めなかった、板前の世界観。

ぼくは普段はそんなこともない(と思っている)んですが、仕事モードになるとけっこう生意気な性格をしています。

先輩が言ったことでも「おかしい」と思ったら、そのまま伝えてしまう。

というか口から勝手に言葉が出ちゃうんです。

で、だいたい嫌われます。

そんな性格なので、ただ立場だけが上で、口だけで何もしないような先輩には全く敬意を示せませんでした。

それで、前勤務先の料亭(本店)に勤めはじめた時、現場に長くいる人間に口答えをしたことがきっかけで完全に干されました。

その時、ぼくに対して投げられた言葉は「今までこれでやってきたからこれでいいんだ、口を出すな。」です。

 

全く以って納得はいきませんでした。

 

それからは

  • 仕事を一切与えられない
  • なにを聞いても無視
  • 「そんなことも知らないのか?」と言いつつ何も教えない

といった感じで完全にのけもの扱い。

結果、仕事が始まる前になると胃が痛くなってしまう。こんな日々が1ヶ月ほど。

現場とって目障りな存在だったぼくは、入店からわずか3ヶ月で遠く離れた支店に異動になってしまいました。(飛ばされた)

夢を追って、やっとの思いでたどり着いた修行先は完全に「二度と戻りたくない場所」になったんです。

だけど、そんなトラウマばかりの場所にも、たったひとりだけ大好きな先輩がいました。

本気で尊敬できた、たった一人の先輩。

ぼくの大好きな先輩は、本店で主任をなさっていました。

厳しくも優しい、絵に描いたような素敵な先輩。

完全に干されているぼくのことを唯一気にかけてくれていた先輩だったし、厳しいときもふざけるときも、いい意味で「普通」に接してくれた。

半ばリストラのような形で遠く離れた支店に飛ばされたぼくは、その人と同じ目線に立つことなんてもちろんできないけど、背中を追っていました。

いつか、肩を並べて仕事ができるようになりたかった。

少しだけ、見えてきた背中。

支店で半年ほど勤めてから、ようやく東京の”本店ではない別の支店”へと戻され、それから更に2年が過ぎます。

ぼくの仕事は割と順調で、単に現場で「技術的にはまだちょっと背伸びくらいの仕事」を任せてもらえるようになっていました。

少しづつだけど、現場の管理まで任されるように。

 

これは自分で言うのも恐縮ですが、正直板前の世界では割と早い出世だったので、責任感とかも乗っかって、かなり仕事にのめり込んでいたと思います。

*仕事ができたからではなく、自ら仕事をむしり取りに行くってタイプだったので、結果的に仕事を貰えたってだけです。

 

「どうしたらもっと現場がうまくまわるのか」
「どうしたらもっとみんなのモチベーションがあがるのか」

そんなことを考える日々。

やりがいも存分にあったので、充実した毎日でした。

そして、トラウマの地となっていた本店とも「支店である程度の仕事を任されている人間」として関わる機会が増えてきました。

先輩の横に立つことが、リアルな目標になった。

ある日、ぼくは先輩から直接お話しを頂きました。

「社長の意向で、店を盛り上げるために本店の一部を独立した個人店のように扱うことになった」

「俺が店主のような形で立つことになるんだけど、お前、俺の横に立たないか?」と。

 

ほんと、まじで泣きそうだった。

ていうか、その日の帰り道にめっちゃ泣いた。

 

尊敬する先輩がぼくの仕事を見てくれてたこと。

尊敬する先輩がぼくの力を求めてくれたこと。

邪魔者扱いされ、トラウマでしかなかった本店に必要として頂いたこと。

 

当時、ぼくが現場で担当していた仕事は責任が重いものが多かった。

けど、その日以降はいつ先輩からのお呼びがかかってもいいように「自分がいつ抜けてもいい状況」を作るための仕組みを作ることに専念した。

「先輩の横に立って一緒に仕事がしたい」という、ただそれだけのわがままな気持ちだった。

大好きな先輩が、”業界”に潰された。

時を同じくして、社内(料亭内)で大きめの事件が起こりました。

 

ぼくの支店の料理長と社長が大げんかをしたんです。

 

もともと社長と料理長は折り合いが悪く、小競り合いになるようなことはよくありました。
(料理人の世界では経営者と料理長(職人)がぶつかることは珍しくありません)

だけどその時ばかりは、社長が「今まで我慢してきたけどもう限界だ」という状態になり、ぼくの支店の料理長を降格することに。

そこで次期料理長の候補にあがったのが先輩です。

ところが先輩は「下積み時代に支店料理長に仕事を教えてもらっていた」という経緯があったので「育ての親を裏切ることはできない」という理由で社長からの話を断りました。

結局、どうしても支店料理長をトップから下ろしたいという社長の意向は変わらず、現場歴の長かった本店の方を料理長に据えて、補佐として先輩を起用するという形で人事の異動が決定。

これがすべての引き金でした。

板前の世界は「黒のヤクザと白の板前」と例えられるくらい義理人情に厚い世界です。
だいたいの「板前」は横の繋がりで形成されてるんです。

その横のつながりのなかで「あいつ(先輩)は育ての親(支店料理長)を裏切った」と噂され、板前の世界の人たちがこぞって連絡を断ち「あいつとは関わるな」という話が出回りました。

板前の世界にかなり大きな影響力を持っている連合だったので、その世界で生きてきた先輩が潰しにかかられたらひとたまりもありません。

中学を卒業してから板前1本で生きてきた先輩は、自分が今までずっといた板前の世界から干されてしまったことが理由で気を病み、鬱になり、現場に立つことができなくなりました。

この件を堺に、ぼくが先輩と同じ厨房に立てることはなくなってしまったんです。

板前の世界観を許せなかった、ぼくは板前を辞めた。

先輩がいなくなった現場には、ぼくにとって何の目標もなくなってしまった。

夢を追う舞台だった厨房は、ただただ予約に合わせて料理を仕込むだけの工場になった。

正直、厨房に立って板前の世界観に触れているだけでも本当に吐き気がしたし、変わらず現場に居続ける、ただの”立場が上なだけの人間”と関わることさえ辛かった。

義理人情を履き違えた空間で、どれだけそれっぽいことを言われても、ぼくの耳にはもう何も入ってきませんでした

 

2〜3週間経ってから、退職した先輩が自分の包丁を引き取りに来ました。

帰り際、暗いままの表情から出た「いろいろと迷惑をかけてすいませんでした」の言葉。

 

無言のまま先輩を見送った。涙がとまらなかった。

 

慕ってくれていた後輩もいたし、3年という期間を必死で修行した現場だったので、心残りはいくらでもあったけど、それを上回るくらいに、ぼくは板前の世界観が許せなかった。

 

そして先輩が消えた2ヶ月後、先輩に続くようにぼくは料亭を辞めました。

 

こうしてぼくは板前の世界観からは完全に離れたんです。

組織に依存しない覚悟を決めた。

たかだか6年程度しか板前の世界を経験していない半人前のくせに偉そうかもしれませんが、ぼくはこの件が起きたことで板前の世界観には2度と触れたくないと本気で思いました。

ぼくは「たまたま」悪い面を見てしまっただけで、「板前」の全てを否定する気はないです。

でも、もう無理だった。

 

そしてもう一つ。

 

これは先輩が聞いたら気を悪くするかもしれないけれど、「組織に属していないと生きていけないこと」がどれだけ危険なことなのかということを目の当たりにしました。

降格になった料理長も先輩も、「雇われる以外の方法でも生きて行く力」を身につけていれば、「自ら会社を辞めて別の道に進む」という選択もできたのかもしれません。

でも、長い板前修行に没頭するあまり、それを考えずに「何か(組織や企業)に依存していた」んだと思います。

だからぼくは会社を辞めて、まずは「自分でも生きていける力」を養った上で、自分の意思で仕事を選びたいと思った。

別にフリーで生きて行くことに執着している訳じゃなくて、会社勤めもとっても素敵なことだと思っています。

ただし、どこかに所属していないと他では生きていけない状況を作ることの危険性はイヤというほど目の当たりにしたので、今後も絶対にその状況はつくりたくありません。

これは板前に限らずどの世界の話でも言えることだと思っていて、「いざとなったら別の道でも生きられる方法」を持っておかないと、ずっと怯えながら生きなければならないと思っています。

現状を変えられるのは、自分だけ。

結果的にぼくは板前の世界から逃げた人間です。

でも、あのままあの場所にいたら多分ぼくは本当に潰れていた。

1年前に勢いで会社を飛び出した当時、ぼくは「自分で仕事を取ってくる力」なんて全く持っていなかったので、かなり迷した。

そして、がむしゃらなまま1年が経ち、ようやくなんとか仕事を頂けるようになってきた。

この事実に対して自分に才能があったなんて思ってないし、たまたまだと思っている。

 

でも、生きる方法は見つけ出せる、作り出せると実感した。

 

もし同じような立場になっている人がいるのであれば、「本当に無理だと思ったのであればさっさと逃げていい」と伝えたいし、できることならみんな自分にとっての「逃げ道」をちゃんと残した上で「働く」という事を選んでほしい。

先輩のような目に会う人が一人でも減ってほしい、ぼくは自分の活動を通して「こんな生き方もできる」ということを体現してきたい。

 

以上、ぼりでした。

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2017年8月追記

板前修業を辞めて1年 、ようやくフリーランスとして生計を立て、依存をしない生活ができるようになりました。

これまでの活動も全て当ブログにて書き記してあります。

もしよろしければぜひこちらも読んで頂けると嬉しいです。

【独立・副業】「対価として頂くお金」を意識する事が最初の一歩