最初に断っておきますが、アイキャッチ画像は記事の内容とは全く関係ありません。
ただの悪ノリです。
最近ちょこちょこ目にする「インフルエンサー」という言葉。
もともとは「インフルエンス=影響力」という意味からできた言葉のようなのですが、ぼくの中でのインフルエンスとは「周りを引きつける力」だと思っています。
決してSNSでフォロワー数が多い人のことではない。
で、ぼくはなぜか昔から目立つ(けどその分波風も立てる)人のサポートをする役割をすることが多かったので、いわゆる「インフルエンサー」的な立ち位置の人の近くにいることが多い人生でした。
で、何度もそういった方と関わる機会があったからこそ、経験則で感じたことをTwitterに書きました。
インフルエンサーと呼ばれる人に実際に会うと感じるのですが、”フォロワーが多い人”ではなく”惹きつける人”って感じだと思う。
で、経験則として彼らに”憧れ”で近づくのは辞めたほうがいいと思ってる。
対岸で見てるから丁度良くて、隣にいようとしたら、よっぽど我が強くない限り思考が染められる。— ぼりさん@我欲 (@borilog) 2019年1月2日
インフルエンサーには”憧れている状態”では近づかないほうがいい。
この部分をもう少し自分の体験に寄せて掘り下げます。
インフルエンサーの”人を惹きつける力”
「人を惹きつける人=インフルエンサー」は一人ひとりが強烈に自分のビジョンを持っていて、なにより自分自身がそのビジョンを確信的に信じているので、とても説得力を持っています。
(ひとつひとつの言葉にパワーがある的な)
だからこそ、時にはその強い言葉に背中を押されることもあれば、力強すぎて不意に誰かを落ち込ませてしまったりもする。薬にも毒にも成り得るんです。
そして、惹きつける人というのはそれらを全てではなくとも無意識にやっている。
もうずっと昔、ある友人(本人は自覚していないと思いますが、ぼくは彼のことをインフルエンサーだと思っています)と一緒にある挑戦をはじめるときに
「俺は猛毒だよ?」
と言われたことがあります。(この言葉自体今思い返せばすごい)
その言葉の意味が、当時はわからなかった。
あと彼は「自分の言葉は極端だから、半分くらいに薄めて受け取ってくれたら嬉しい」とも言っていました。
きっと、これまでも意図せず自分の思想の強さが人を迷わせたりしてしまった経験があったのだと思います。
だからこそ、事前に一定の距離を保つように予防線を張ってくれた。
インフルエンサーと呼ばれる人は、それくらい無自覚にも人を惹きつけてしまうものなのだろうなぁと。
で、実際に最初は良かったのですが、ずっと同じ方向を向いて仕事をしていると、あまりの極端な意見に衝突することもしばしばありました。
ぼく自身がとてもとても我の強い性格をしているので「意見の衝突」という形になっていましたが、もしぼくが彼に「憧れ」で近づいていたとしたらと考えると、ちょっと怖いです。
ただでさえ意見の強いインフルエンサーに”憧れ”で近づくと、神のお告げを聞くような上下関係が生まれ、思考が一方的に飲み込まれてしまいます。
インフルエンサーという猛毒。
インフルエンサーと呼ばれる(認識される)ような人は、遠目からみればとても華やかに見えるかもしれません。
けど、それはあくまで遠距離や画面越しだからこそ輝いて見えるのであって、本当の近距離で同じ空間の中にいると、かなり刺激が強いです。
ときに刺激的な良薬に、ときに攻め立ててくる猛毒になる。
だから、憧れているうちは近づかないほうがいい。
己の軸がブレてるうちに”憧れ”でインフルエンサーに近づくとただの取り巻きの一人になってしまう。
余談。
2019年の目標は「木彫りの”ぼり”」をつくることです、ご協力のほどよろしくお願いします。
サンタさんに「木彫りの”ぼり”像が欲しいです」ってお願いしてたのに今朝枕元に届いてなかったからもうサンタさんなんて信じない
— ぼりさん@我欲 (@borilog) 2018年12月25日
ちゅに