先日、もうすぐ三十路を迎えるのにダッシュで階段を登ろうとして足をひっかけて転び、スネを痛めました。
この歳になっても未だにこんなことをする自分にあきれ返っていると、ふと高校生時代に犯した大失敗のことを思い出したので、ここに記します。
先に書いておきますが、この記事を読んでも誰も何も得をすることはありません。
落ち着きのなかった高校2年生のある日
時を遡ること10年以上前。
高校2年生だったぼくはとても落ち着きのない男子でした、もちろん童貞です。
吹奏楽部に所属していたぼくは、20時頃に部活を終えて友人と先輩と3人で自転車に乗って帰路に。
ぼくは友人と一緒に帰宅している途中に、なぜか急にテンションがぶち上がりました。
おそらく特に理由はありませんでした。
最初の事故
急にママチャリ(愛車)を立ち漕ぎし始め、ぼくは友人を置いてだだっ広い潰れたパチンコ屋の駐車場に入っていこうとしたその時です。
シャーンっ
金属音と共にトップスピードだったぼくの自転車は完全に動きが止まりました。
駐車場の入り口に張ってあった封鎖用鎖の存在に気づかずに突っ込んでしまったからです。
自転車のT字ハンドルにトップスピードで局部をめり込ませたぼくはしばらくその場で身動きが取れなくなってしまいました。
友人や先輩から「バカなの?」と呆れられながら倒れた自転車を起こしました。
今思えばこの時に反省しなかったことが後に起こる大事件の引き金でした。
2つ目の事故
心が折れなかったぼくは先ほどよりも更に加速して自転車を立ち漕ぎします。
たぶん、バカです。
潰れたパチンコ屋から500mもないところでだだっぴろい駐車場に立つ中華料理屋の看板を発見。
ぼくの頭の中には「くぐる」以外の選択肢はありませんでした。
ママチャリを最高速度にまで加速。
頭を下げて看板をくぐるタイミングでぼくの意識が一旦飛びました。
気がつけばぼくは看板の下に倒れていました。
周りを見渡すと、焦って駆けつけてきた先輩と友人が困惑していました。自転車はかなり遠く離れたところでまるで事故車両のように横たわっていました。
もうろうとした意識の中、友人に聞きながら状況を確認すると、ぼくは看板をくぐる時に黒い鉄の支え棒に気がつかず、看板をくぐる事に失敗したようでした。
こんな感じです。
救急車へ
ここからはちょっと笑えない事態になっていたのですが、おでこと眉毛の部分をがっつり怪我しており、結構血だらけでした。
意識がしっかりしていたので、「お前本気のバカなの!?」ってあわてふためきながら救急車を呼んでくれてる先輩にはしっかりお礼を言って、ぼくは自分の携帯で母親に連絡しました。
自転車で看板にぶつかって怪我したから救急車乗りますごめんなさい
ちょっと意味がわかんない
母親とはいえ当然の反応だったと思います。
未成年とはいえ高校2年生になった男の子が自転車で看板にぶつかって救急車に乗ることってあんまりないと思うので。
今のところ30年生きてきたなかで、ぼく以外にそんな人にあったことはありません。
救急車で搬送されたぼくは眉毛とおでこの部分を合わせて14針を縫う大怪我でした。
あと、地面に叩きつけられたタイミングでアゴと前歯がぶつかって、前歯も1本半分くらい欠けてました。
翌日以降の恥
翌日、自転車は事故現場に置きっ放しだったのでバスで通学。
ぼくも高校2年生の男子です。クラスのみんなにはさすがに「自転車で看板にぶつかって14針縫った」なんてとても恥ずかしくて言えません。
でもいきなりクラスメイトが頭に包帯をぐるぐる巻きにして登校してくるんだから放っておいてはくれません。
質問攻めの中で「言うタイミングみつけなきゃな〜」って思っていたところで教室の窓が空きました。
ぼり!お前誰にやられたんや!?言ってみろ!やっつけてきてやっから!!
隣のクラスのヤンキーです。ぼくは工業高校だったのでこういう男臭い気溢れるひとがたくさんいました。
でもぼくを打ちのめした相手は他校のチンピラでもなければ年上でも年下でもありません。ただの鉄の棒です。しかも相手には何もされていません。
しょうがないので、このタイミングで言ってしまおうかと思って勇気を出して口にしてみました。
自転車で看板にぶつかった(小声)
としか言えません。たったこれだけの事実なので。
しかしこの言葉は信じてもらえず、逆にヤンキーの興味をそそったようで、
口止めされとるんか!?大丈夫やから言ってみろ!!
と、ぼくを痛めつけた相手(架空のいじめっ子)の素性を聞き出そうとしてきます。
(もうお願いだからほっといて…)
改めてぼくはことの顛末をちゃんとみんなに説明しました。
公認のバカの誕生です。
ぼくは基本的に学校が大好きなタイプの人間だったのですが、この時期だけは恥ずかしさと、なくなるかもしれない眉毛の不安をこぼしに保健室に逃げ込んだほどです。逃げるは恥だが役に立つ。
残った古傷
包帯から絆創膏へ。汚名とともに徐々に薄れていった傷もようやく癒え、とうとう抜糸の日を迎えました。
その当時はこんな感じになっていたと思います。
見て初めてわかったのですが、眉毛に沿って怪我をしていたぼくは眉毛を沿って、新たに描いたかのようになっていました。
この傷跡は未だに残っておらず、初対面の人にいまだに「え、眉毛書いてんの?」って聞かれます。
さいごに
これでこの記事は終わりです。
この記事に何の価値もないことは冒頭にも書いてあったので、特に謝る気持ちはありません。
みなさんの貴重な時間をぼくの眉毛の話におつきあいくださってありがとうございました。
自転車の運転と看板の下の黒い支え棒には十分お気をつけくさだい。
ぼりでした。