こんにちは、割と板前の道を踏み外してる「ぼり」です。
先日、相談を受けた方からのお話を聞いて、どうしても書きたくなったことをこの場にて書かせて頂きます。
もくじ
行く末を心配される女の子Aさん
先日会った女性の方、本名は伏せてAさんとこの場ではお呼びします。
彼女から持ちかけられた相談はこんな内容でした。
- 仕事をやめて新しいことを始めた
- 周りの人から「それ怪しいんじゃないの?」と心配された
- それでも自分の思う通りに行動したら嫌われて辛い
これ、心配してくださる方の気持ちもわかるんですけど、もう正直、無視していいと思うんです。理解してもらおうなんて思わなくていい。
ぼくが「あいつ変なこと始めた」と言われた1年前
ぼくは昨年の夏、現在住んでいる「ハイパーリバ邸」というシェアハウスの立ち上げの為、クラウドファンディングに挑戦しました。
当時まだまだクラウドファンディングの認知が低かったので、料亭をやめていきなりそんなことをはじめたぼくに「なにやってるの?」と友人からの心配の声がかかりました。
変わったねという友人、相変わらずだなという親友
ぼくはその当時から、行動は変わっていますが、根幹の性格は変わっていません。
しかし、表立って見える一部分から人は人を判断します。
クラウドファンディングをはじめたぼくに「あいつは何か変なことをはじめた」「会ったら金をせびられる」とまあ結構いろんなことを言われました。
ただ、昔からの兄弟とも言えるような友人には「お前は相変わらずだな」の一言のみ。
すんごい昔からの、もはや相方みたいな地元の友人は、ぼくがどんなに生き方や働き方を変えても「相変わらずだな」って言うけど、そこまでガッツリ踏み込んでない友人には「変わったね」って言われる。
生き方や働き方は変えたし、考え方もある程度は成長したと思うけど、根幹は全然変わってません。— 板前ぼりさん (@borilog) 2017年4月14日
認知によって変わる人の印象
ハイパーリバ邸のクラウドファンディングは無事に成功。
実際に今住んでいるハイパーリバ邸が設立され、クラウドファンディングもキングコング西野さんのような著名人の方や、市町村の方々が当たり前のように使うようになってきたことで徐々に認知が変わってきました。
そこでぼくの周りにも変化が起きます。
「実は陰ながら応援してたよ」「頑張ってるんだね」そんな言葉がぼくによせられるようになりました。
「なんだよあの時は信用してくれなかったくせに」みたいなそんなしょーもないい話はどうでもよくて、ただ、「人の認知」は大衆によって大きく動かされるということをしっかりと認識しました。
どうせ何を言っても結果を出さなければ認められない
なにかちょっと人とは変わったことをはじめたとき、まわりは「あ、信用しても大丈夫なんだ!」ってくらいにまで大衆が動かないと信用してくれません。
だったら周りに理解してもらう為に体力を裂くのは時間の無駄です。
だって、人はみんなが認めた人を認めるから。
「理解」なんて簡単にできることではないし、みんなに理解してもらってから何か新しいことをはじめようなんて思ってたら、人生の時間はとてもじゃないけど足りません。
自分の軸で行動しているのか
ぼくに相談を持ちかけてくれた方にも、相談をくれた方に声をかけた方にも、両方にぼくからお伝えしたいのは「自分の答え(意見)」なのかどうか。
自分でそれが正しいと思ったのかどうかをしっかり判断してほしい。
みんなが認めていないからなんてどうでもいい。
自分の心が納得していることなのかどうか。
そこをしっかり判断してほしいです。
さいごに
変な宗教に騙されてるんじゃないの?お前変わったね。とおっしゃる方々、心配する気持ちもわかりますし、もちろんリスクを伝えるのは重要なことです。
ただし、それで自分の思い通りに行動しなかった時にその人を嫌うとかって、単純にその人を自分の管理下に置いておきたかっただけなんじゃないですかね?
彼女にお伝えしたのは、「人からの意見なんて出した結果と世間の認知で変わるから、人からどう見られるかで、行動を決めなくてもいいと思うよ」といったこと。
いろんなアドバイスや情報を元に、結局行動を決めるのはだれでもなく自分自身です。
もちろんぼくの言葉もひとつの考え方。
ただし、その中からちゃんと「自分の答え」を持って行動しなくちゃいけない。
自分の人生の判断を人からの意見で決めたとき、あなたの人生はあなたの人生じゃなくなる。
以上、ぼりでした!