ぼりの備忘録

新しい「板前の生き方」を作り出したい!現役板前の転身宣言!

*写真は職場近くの神宮外苑「イチョウ並木」にて撮影

こんにちは、板前の”ぼり”です。

ぼくは現在、板前修業6年目。

板前の世界の中ではまだまだ「ひよっこ」と呼ばれるような身分ですが、今現在も東京都内の料亭にて「板前修業」の日々を過ごしています。

そして今年の夏、僕は修業先の料亭を辞めて、「個人の板前」として独立する事を決意しました。

今回はその決意に至るまでの「板前として生きる事」についての意識の移り変わりを書き起こします。

決意を持って飛び込んだ板前の世界とその現実

ぼくが板前を志す事を決めた6年前。「10年後に自分のお店を出す!」と周囲の人達に言い切って地元である石川県の金沢市を飛び出しました。

最初に門を叩いたのは大阪、北新地。(東京で言う銀座にあたるらしい)

金沢の料理人づてに紹介された、一代で40年の歴史を作り上げた老舗個人割烹のお店。

始まった苛烈な日々と生活

実際の板前修業はとても厳しいものでした。

間違えれば殴られる。「嫌ならやめてしまえ」といつでも突き離される。

六畳一間の寮での、先輩との共同生活と厳しい修業先の往復の日々による極度のストレス。

修業開始半年で僕はストレスによる脱水症状を起こして病院に駆け込む事もあった。

それでも食らいつくように必死に修業にすがりつく日々を過ごします。

その変わらない日々が1年と半年経った時に、僕の価値観がひっくりかえる事件が起こる。

修業先の突然の閉店

これは本当に予期せぬ事態でした。

当然、事前に知らされた訳で、店主さんの事を心配する気持ちはもちろんあった。

だけど「自分は今まで何に必死にすがりついて頑張ってきたのだろう」という気持ちがどうしようもなく自分にのしかかる。

もちろん経験は無駄にならない。

だけどこんな中途半端な実力で、今からまた別のお店に修業に行けばまたいちからのスタートになる事は目に見えていた。

それでも現実は受け止めるしかなくて、ぼくは一度地元である石川県に帰る事となる。

金沢市の台所である近江町の魚屋でアルバイトをしながら次の修業先を探していたら、お店のお客さんの紹介で次の修業先は割とすぐに決まった。

それが現在の勤務先である東京都内の料亭。

「決まったとなれば」と思い、ぼくは金沢の魚屋を辞めた3日後には都内の料亭で修業をスタートしていた。

当然のごとく、そこでも関西と関東の差なんて一切なく、厳しい日々は続く。

いちから再スタートを切った事で、また振り出しに戻った立場。

年齢なんて関係なく、年下の若者に指示を下される日々。

今では笑い話にして喋っているけど、2ヶ月でダイエットなしで10kg痩せた。

そうやって板前修業の日々を過ごして6年。ある程度の立場にまで登ってくる事はできたけど僕は気づく事になる。

ぼくは板前の「世界観」と「価値観」が大嫌いだ。

板前の世界観と、ぼく自身の価値観のズレ

堅実、頑固、伝統。いくらでも言い方はあるけれど、一般企業出身で「根っからの板前」ではない僕からすればそれらは全て、今までの「板前」の世界観への「固執」にしかな思えなかった。

変わる事を恐れて、「古きものを大事に」という固定観念を振りかざす「現状維持」。

実際に修業の身で現場にいると聞こえてくる、誰もが口を揃えて同じ事を言う現状に、染まる事はなくても「俺は自ら選んでこういう世界にいるんだから」という「諦め」に近いものはあった。

それでも「古きもの」を大事にするという事は良いところもいっぱいあったので、僕は「料理の修業」をするという事に関しては不満はなかった。

僕がどうしても受け入れられなかったのは「親父が白といえばカラスは白!」という考え方で、現状を良くしようと考えて勇気を持って発言した事でさえも「今までこれでやってきたんだから見習いが口を出すな」というスタンス。

結局、ただただ「板前の世界観」が気に食わなかったのが本当のところだと思う。

だけど、その耐え忍ぶ「修業」に対してもぼくの価値観は崩れ去る事になった。

更に突きつけられた「社会人」としての現実

板前の世界は「やくざと板前」と言われるくらい上下、そして横の繋がりに手厚い。

よく言えば「見捨てられない」けど、悪く言えば「好きにさせてくれない」のだ。

つまり「板前」の世界観の中で人間関係を大事にしつつ、修業をしてある程度の実力を身につければ立場を確立する事が出来て、基本的には食いっぱぐれない。

だけど、板前の世界の中で「不躾」な事をすればその噂はたちまち広がり相手にされなくなってしまう。

これはこの世界ではかなり致命的で、次の修業先を見つける事どころか、酷い時には市場の納品業者にまで相手にされなくなる事もある。

悪い言い方になるけれど、板前は「板前の狭い価値観」の中で「助け合って」生きてきたんだと思う。

ところがつい先日、僕の修業先の人事異動において料理長が調理スタッフの立場にまで降格になった。

これ自体は企業として自然な形だったのだけど、その料理長さんには決定に対して不満があろうとなかろうと、「辞める」という選択肢はないようだった。

それを見た僕は社会人になって10年を経てやっと気づく。

「自分で生きて行く個人の力を養わなければ、自分勝手に会社に「依存」している状態でしかない。と。

もちろん独立を目指して修業していた身なので、「会社に依存している」という意識なかったものの、「安心感」を得ていたのは間違いない。

会社員というのは不思議なもので、毎日出社していれば毎月決まったお給料をいただけることから「安定」していると錯覚してしまう。

だけどそれはあくまで「自分の勝手」に過ぎないことを痛感する機会だった。

一社会人としての正しい姿勢とは

今回の件で改めて僕は「個人の力」を見つめ直すようになった。

そして、そもそも企業で勤めるということに対しての「考え方」が間違っていたのかもしれないと思い立つ。

今までの僕は、会社に寄りかかっていた状態で、現在頂いている「お給料」は今の僕の個人の力では到底手に入れることのできない金額だという事を理解した。

例えば明日、いきなり会社という存在が消えたとして、それでも僕は生きて行くので「仕事」をして「お金」を稼がなければいけない。

だけど会社勤め以外に僕がお金を生み出す方法は、今は正直言って皆無に等しい。

つまり今の僕は「会社に頼りっきり」だったという事だ

そして会社員として常に持っておくべき考え方として、「会社にすがる」のではなく「一個人」として会社と常に取引をしているくらいのつもりでいること。

自分の「能力」を最大限に提供して、その成果に対して見合った報酬を頂くという「常に自立した精神で企業に属する」というスタンスでいなければならないと感じた。

”料理人”の未来の選択肢が少ない

僕は関西は大阪。中京は名古屋、関東は東京と様々な地方を修業し歩いてきた。

その中でベテランと呼ばれる板前が口を揃えて言っていたのが「板前の将来は3つしかない」という言葉。いろんな人の言い方はあるけれど、とりまとめると板前の将来図は

  • 独立して店を出す
  • (雇われの身で)料理長になる
  • 何者にもなれず、ずっと調理場(現場)に立ち続ける人間

の3択になる。といった内容。

僕はこの言葉にはいつも違和感があった。

店を出して繁盛せずに失敗したとしたら多額の借金を背負う。

料理長になってもいつクビになるかわからない。

前者はともかく後者に至っては自分の実力どうこう関係なく、周りの影響だけで生活の術を失う事になる。

板前を名乗る人たちはみんな本当にこの3つしか見えていないのだろうか。だとしたら危なすぎる。そして、描く将来の範囲が狭すぎる。

主催したBBQが楽しかったから、板前になった。

これだけの現実を目の当たりにして、正直かなり心は折れた。

そして「なぜ僕は板前になりたいんだろう」という考えにもぶつかった。

僕が板前を志した6年前。

理由は明確で「BBQを主催したら面白かった」というただそれだけ。

自分の用意した空間、食材、簡単な料理。

それらを友人に提供して、友人同士が人生にそのときしかない「楽しい時間」を過ごしてくれるのが本当に嬉しかった。

そしてそれを実際に仕事にしたいと思って気になっていた「和食」の道に飛び込んだのだ。

だが今の現状は正直それとはかけ離れている。

これから先も「我慢」を続けて「一人前」と呼ばれる板前になったところで、僕はこの閉塞された世界観が嫌いなのだ。

そして僕は今、料理自体さえ嫌になりかけてさえいる。

 これまでの夢と、これからの夢。

板前を志した時点での「成功図」として捉える未来が

  • 雇われの身の料理長
  • 独立して店を構える

の2択しかないという視野の狭さである事には何の疑問も持ってこなかった。

そして「独立して成功する」という夢に向かってがむしゃらにやってきたのが今までの現状。

でも本当はもっともっと無数に板前の「選ぶ道」があっていいのだと思う。

板前が渋谷のライブハウスで天ぷらを提供したっていいし、

お祭りの屋台で「寄せ鍋」を提供したって全然いいんだ。

それを板前として邪道だと言われるのなら僕は邪の道を行く。

今までに「板前」が辿ってきた道が全てじゃないと僕は証明したい。

そう考えるようになったのはここ最近の事。

それでも「思った事はやってみないと気が済まない」という自分に嘘はつけないので、一歩を力強く踏み出そうと決めた。

自分の道を、自分で創る。

僕は昔から思いついた事を実行せずにはいられないクソガキだった。

「坂道を目をつぶって自転車で駆け下りる」という荒技に挑戦して、ドブに落ちて木に顔面でぶつかり大量出血をするようなバカだった。

だけど、それは今も変わらない。

周りから見たらバカな挑戦でも全力でやる。

そして必ず、これからの「板前」の新しい生き方を創造する。

全ての理由は今まで書き記した通り、「僕にしかできない、板前の生きる道を創造する為に」です。

誰かの為にじゃない、僕の人生を賭けた「自己満足」の為に。

当然、僕一人の力でなんでもできるなんて思っていないけれど、自分のできる事を最大限に実行する上で誰かにすくい上げてもらったり、協力を得る必要はこれからいくらでも出てくると思っています。

今読んで下さっているみなさま、どうかやんわりと見守ってやってください。

そして時には「しょーがねぇなぁ」くらいの気持ちでもいいので手を貸してやってください。

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2017年8月追記

板前修業を辞めて1年。現在は料理人としてではなく、フリーランスとして生計を立て、依存をしない生活ができるようになりました。

この1年でぼくの意識は大きく変化しました。

板前としての活動するのではなく、一個人として活動すること。

現在は板前という肩書きには固執せず、自分の名前を肩書きに、料理も含めて「自分だからできること」を仕事にしています。

これまでの活動も全て当ブログにて書き記してあります。

もしよろしければぜひこちらも読んで頂けると嬉しいです。

以上、ぼりでした!