ぼりの備忘録

「やればできる子」という便利な言葉をぼくは認めない

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ぼりです!

今回言及するのは「自分は本当はなんでもできるけど面倒くさいからやらない」みたいな事を口にする、 自称「やればできる子」についてです。

自称「やればできる子」の特徴

基本的にこの言葉を発する人にはつっかかってしまいたくなるのですが、 自分なりに捉えたやればできる子の特徴をあげてみました。

  •   本気を出すのを嫌がる、一生懸命になるのが恥ずかしい
  •  本気をだす機会を伺っている、もしくはチャンスを待っている
  •  要領がいい、ある程度の先読みがしっかりできる
  •  たまに本気を出したときは確かにすごい、人の倍できる。ただしきまぐれ

こんなところです。

もしかしたら「さとり世代」と呼ばれる我々だからこそ多いのかもしれません。

昔、僕は「やればできる子」に憧れていましたが、 残念ながら要領も悪いしなにかとセンスも悪かったので諦めました。

ただ気持ち悪いくらいにやる気と根性はあったので、 人の倍働く事でやっと「やればできる子」と肩を並べていました。

その憧れの対象である「やればできる子」がある日こんな発言をしたのを耳にします。

「何をやってもそれなりのところまでたどり着くのが分かってしまうから面白くない」

はぁっ!!?

この言葉を聞いた時、「憧れ」から「見返したい気持ち」に切り変わりました。

絶対こいつより社会的に成功してやる!と

僕は思います。

どれだけ立派な才能を持っていても発揮しなければ宝の持ち腐れです。

10年後、やればできるけど何もしなかった人と

人の半分しかできないけど着実に進んだ人では相当な差が生まれます。

うさぎとかめの話ですよね。あの話を見てたら思いますが

もしうさぎが途中でさぼらなかったらぶっちぎりなんです。

才能に甘んじずに努力し続けられる人はそうそういません。

けどそれをやる人が「世にでる人」だと僕は思っています。

僕の勝手なイメージの中では堀江貴文さんがそれにあたります。

堀江さん自身も何かのインタビューで答えられていました。

 「才能があるのは当たり前で、そのなかで更に努力する人間が成功を収める」

といったような話でした。

 自称「やればできる子」は僕のなかでは成功しない人間の部類に入ります。

極端に言えば「俺が政治やったほうがましだ!」

とかTVの前で愚痴ってるオッサンと同レベルです。

自分から掴み取りにいかないとチャンスなんて降ってはこない。

やればできるじゃなくやる人間。その中で更にふるいにかけられて

成功する人間と失敗してしまう人間がいる。

でも、そもそもそのステージに立って勝負をするような気のない人間は

「失敗はしない」人生を送るのでしょう。

僕はそれを成功とは呼びません。

もちろんどんな人生を選ぶかはその人の自由だし、挑戦を強制する事もない。

だけど、それを「できるけどやらない」と口にするのは違うだろうがっ!!

まとめ

 数々の失敗を繰り返した上で何かを成し遂げた人間を僕は「成功者」と呼びます。

自称「やればできる子」を掲げる人間を僕は認めません。

以上、ぼりでした!