板前の辛い下積み修業期間をなんとか乗り越え、出張調理人として独立した板前の”ぼり”です。
専門職につくのであれば絶対に避けられない下積み時代。
辛くて「もう限界」と思ったときもなんとか乗り越えられてきた、ぼくなりの下積み時代の気の持ち方について書き起こします。
もくじ
「いつでも辞めていい」という選択肢を持つこと
技術職の世界は板前とかに関わらず、大体まず、つらーい下積み時代が待っています。
たぶん、これは避けられない。
わざわざ辛く当たる必要はないかもしれないけど、覚えなければいけないこと、習得しなければいけない技術が山のようにあるので、自動的に「しなくちゃいけないこと」が多くなります。
好きな事を仕事にしようとしてその世界に飛び込んでもこの期間に耐え切れず、好きな事だったはずの事まで嫌いになって、その世界から去って行ってしまう人も少なくないと思います。
せっかく板前というちょっと珍しい職業についた方が辞めてしまうのは、一個人の感覚としてやっぱり残念です。そこで、ぼくなりにどうやってその時期を乗り越えられたのかを書き起こしたいと思いました。
これから勇気と希望を持って技術職に挑戦する方には特に読んでもらいたいです。
10年の「我慢」なんて続かない
昔読んだ「味いちもんめ」に書いてあった先輩からのセリフで「板前は10年やってはじめてセンスがあるかどうか見えてくる」というようなセリフがあります。
「板前はそんなに簡単に1人前になれる職業じゃない」という事を言いたかった先輩からの言葉です。
これは技術職全体に言える事で、はじめてすぐに結果をだせるような職業は技術職にはありません。
だからなんでもかんでもすぐに結果を求めてしまう人にはあまり長続きしない。
だけどここで言いたいのはその期間を「ずっと我慢し続ける」というスタンスで考えるのはちょっと違うという事。
「我慢=結果が出る、実力が向上する」ではありません。
確かに長く修行を続ける上で「我慢」が必要な時はあるけれど、目指した事に対して「真剣に取り組む事=我慢」ではありません。
むしろ我慢しなければいけない部分を取り除けば楽しくできる事であるはず。
自分を追い込む事は一時的に爆発的な力と結果を出せるけど、同じだけの負荷を伴うのでそんな無理はずっとは続きません。
我慢するところは確かにあるけれど、その中で自分が楽しんで修行に取り組める理由を見つけて我慢を越える楽しさに繋げる事が大事です。
ぼくが後輩に言う言葉「嫌ならやめてしまえ」の意味
ぼくは多分どちらかというと厳しい先輩にあたると思います。やる気がない状態やふてくされながら仕事をしている後輩には「嫌ならやめてしまえ」と強めに投げかけます。
これはオーバーな表現でもおどしでもありません。
長時間労働でありながら安月給な仕事を嫌々続ける意味なんてどこにもありません。
もっと短い勤務時間でお給料をいただけるお仕事はこの世にごまんと存在します。
まして、実力をつけて独立する気があるのであればそもそも仕事を「やらされている」ような状態ではしないと思うので。
あと、技術職は競争社会です。
その後輩もいずれ先輩になり何かの調理を担当する事になる。
そのポジションは常に「イス取りゲーム」なのでいつまでも居座られては次の世代の後輩が昇進できません。
向上心を持たない現状維持が目標の人間ははっきり言って修行という場には邪魔でしかありません。
先ほども書いた通り世の中にあるごまんと存在する仕事の中から競争がない仕事を見つける事がお互いにとって幸せになると思うのできっぱりとその旨を伝えるようにしています。
相手にはそう捉えてもらえているかどうかはわかりませんがこれは僕なりの優しさのつもりです。
あくまで嫌ならいつでもやめていいのです。
冷たいように聞こえる言葉かもしれませんがそれを自分自身に問いかけて考え込む期間が続くようならキッパリと辞めてしまって新しい何かにチャレンジした方がずっと充実した毎日を過ごす事ができると思うので。
いつでも逃げ道を用意しておく事で気持ちは楽になる
ぼくは板前修行を初めて半年で1度体を壊しました。
体力的なものではなく先輩と分かり合えないストレスから脱水症状を起こして点滴を打つまでにいたってしまったのです。
この時に自分の「限界」というものを感じました。
そして「次こんな事があったらやめてしまおう」と決意しました。
1度自分の根性論的な考えの限界が見えたのなら、それ以上の無理をする事はススメません。
自分を大切にする事のほうがよっぽど大事です。
背中を押してくれたのは「頑張れ」ではなく「逃げ道」
ただ、頑張れという言葉はあくまで応援する為にみんな使っているとは思いますが、同時にプレッシャーになってしまいます。
もし、頑張らなかったら裏切った気持ちになってしまうという後ろめたさが生まれるので。
ぼく自身、まわりの人にも「頑張れ」の言葉はあまり投げかけないようにしています。
それならば「嫌ならやめてしまえ」の方が自分で答えを決める余裕が持てるとさえ感じています。
僕は実家を離れる時に祖父から言われた「いつでも帰ってこい」の言葉に何度も救われてきました。
そして、「まだもう少し頑張ってみるか!」と改めて前向きになってここまでやってくることができたのです。
現状を変えたい方へ
ぼくがこれまでの修行期間で感じてきた事はあくまで全てにおいて「修行=我慢」ではないという事。
楽しめる事だからこそ打ち込めるのだと思います。
だからこそ最初から、我慢が肝心だとがんじがらめになってしまう必要はありません。
自分に対して追い込みをかけるのではなく、逃げ道を用意してあげること。
我慢する事はもちろんあるけれど、もっと気楽に修行と向き合う事ができれば気づけば乗り越えてしまっていると思います。
辛くて逃げ出したいけど、逃げ道を塞いでしまった状態では身動きが取れなくなります。
最初は強い決意の元に逃げ道を経つことができるかもしれないけど、実際気持ちが潰れかけたときに、その元気はありません。
「いつだって辞めてもいい」という許しの心を自分にもった上で修行するのが、長続きする秘訣かもしれません!
以上、ぼりでした!