日本人の大好きな我慢に焦点を当てて書いてみようとおもいます。
僕は最近禁煙をやめました。失敗です。
その時の記事がこちら
あれから半月程が過ぎたのですが
全く後悔がない事に気がつきました。むしろなんだかスッキリしています。
この感覚から「自分にとって不要な我慢をしていたのではないか」
という考えが浮かびました。
もちろんタバコに関しては体にとって悪いものなので良いとは言い難いものです。
ではなぜ不要な我慢だと感じたのかを自己分析してみました。
彼女の希望で禁煙をはじめた
彼女と同棲を始める時に唯一の条件としてタバコをやめる事を強く望まれました。
人から要求されて起こす行動だったとはいえ、
行動を起こすのは自分なので結局は自分次第。
だけど自発的かどうかは大きく関係する。
そして別れたから我慢しなくてもいいという解放につながりまいした。
「誰かの為にやる」というどこか恩着せがましい行為ではなくあくまで
「自分の目標の為の行動」でないと人間は続けられない事を改めて痛感しました。
我慢する事自体が目的になっていた
これは育った環境も関わってくる事になりますが、家族の考え方、
そして身を置く環境が我慢=美徳になってしまっている
彼女と別れた後は正直なぜ我慢しているのかがわかっていませんでした。
目的の為の我慢は意味のある事だけど、我慢自体が目標になってしまっていた
事に自分で気付きます。
我慢の理由を後付けにした
タバコって世間的なイメージが極端に悪いですよね。
周囲からの評判、味覚がよくなる、お金が節約できる。タバコをやめたらこんなにもいい事があるよといろんな利点を教えられますが、
どれだけ自分を納得させようとしても自分の意思という「芯」がなかったら実現し辛い
ものです。
これらの事をふまえてみると
自分の本心と向き合ってみた時に自分に嘘をついていないかどうかを見極める事
ができれば継続しやすい我慢になると思います。
昔、佐川急便に入社した際に最初の1ヶ月で12kg痩せた事はあるのですが、
僕は自発的なダイエットに1度も成功した事がありません。
正直な自分に向き合ったところ、痩せたいと本気では思っていないようです。
デブにまでならず、ポッチャリ系に収まっていればOKかなーなんて小声も聞こえてきます。(自分基準の中での話なので多少甘めの設定)
もちろん人間なので感情に流される事や、面倒臭さに負けてしまう事もあると思うので
自分にとって意味のある我慢だったとしても我慢がきかない事なんてあると思います。
しかし、自分にとって必要な我慢かどうかをまず見分ける事ができるかどうかで
気持ちが楽になりますし、本当に我慢したい事を見つけた時にはおおいに力を発揮できると思います。
自分の親くらいの世代は何かあったらまずは我慢!くらいの意見を押し付けてきますが
どうしても納得できません。
まとめ
我慢の使い所を見極めて、必要のないときには
上司に自分の意思を発言してもいいし、なんなら会社を辞めたっていいと思います。
なんでもかんでも我慢していたって便利な人になってしまうだけなので。
我慢をしなかった時は周りからそれについて苦情が出るかもしれません。
そんな時は自分の「芯」さえしっかりしていれば問題無し。
人からの意見を聞き入れるかどうかも自分を抑えて我慢する事なので
本当に貫きたい事は我慢の必要なし!
不必要な我慢を捨て、気楽に生きていけたらいいな〜なんて思うのでした。